USSアリゾナ記念館~戦艦シズーリ博物館へ
会社からの研修旅行でハワイに行かせてもらった際に、私は以前に映画で「パールハーバー」を観たので、この場所へは是非、見学に行きたいと思っていました。
(1941年 12月7日)
真珠湾攻撃は中国と東南アジア地域征服をめぐって悪化していた日米関係を最悪のものとしました。
アジア西太平洋における征服の主要戦略の一部でした。
山本五十六海軍大将は、開戦が不可避の場合、日本を勝利に導く唯一の手段は速やかに決定的な勝利を得ること、
経済力と工業力を保持するアメリカに太刀打ちできないことを知っていたのです。
11月26日 日本の攻撃艦隊はハワイ諸島に向け出航しました。
1941年12月7日 早朝、真珠湾には185隻のアメリカ太平洋艦隊が平穏に碇泊していました。
午前7時前、カフク岬の近くにあるオパナ・モービル・レーダー基地では、接近する航空機を映像に捕らえましたが、アメリカ本土から飛来が予定されていたB-17とみなされ、何の処理も取られませんでした。
午前7時55分 淵田 美津雄海軍中佐は母艦に向け
「To.To.To」 と 「トラ.トラ.トラ」
を打電しました。
午前8時6分頃 戦艦アリゾナは大爆発、1発800キログラムの撤用爆弾がその甲板に命中、前方弾薬庫に点火、9分たらずで1177名の乗組員を巻添えに海底へ。完全沈没し完全喪失となりました。
午前10時前 攻撃は終了したものの第二次世界大戦の始まりでした。
アメリカ国民は「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に立ち上がり3年半にわたる死闘が続きました。
この下に、戦艦アリゾナが今も沈んでいます。
1945年 9月2日 東京湾での降伏文書調印式会場になったミズーリ号がパールハーバー内フォードアイランドに一般公開されており、戦争の始まりと終結との戦艦が同じ所にある訳です。
ミズーリが1945年4月11日 沖縄開海戦の時、上空約30メートルから1機の日本の特攻機が右舷艦尾付近に激突しました(傷は今もしっかり残っています)
大破した機体を海へ落としていた米兵に向かって上官が「敵ではあるが国の為に戦っている兵士であることは同じだ」と、日本兵の葬式を甲板で行いました。
戦艦ミズーリ
その日本兵の葬式の様子と特攻隊員の写真を見ました。
この写真を見て、身内であることがわかった御遺族は感謝されたそうです。
見学の後、私は長崎と広島を想い胸があつくなりました。
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